名古屋城本丸御殿の完成・公開記念式典と内覧会が挙行。

式典では、昨年、人間国宝になられたばかりの小鼓方大倉流宗家 大倉源次郎氏等をお招きして能楽が披露されました。

河村市長の露出が高いのですが、ポスト万博として「名古屋城本丸御殿プロジェクト」に尽力された、当時の市長 松原武久 氏(現 東海学園大学学長)のお姿を拝見できず、お招きしたのか気になるところ。

10数年前、一部会派からは、不要不急の復元?と反対され、現市長も否定的でした。

すでにスタートしていた4大プロジェクト「名古屋城本丸御殿の復元・クオリティライフ21城北(陽子線がん治療施設整備)・東山動植物園再生プラン・モノづくり文化交流拠点構想」全ての整備・計画を河村市長が凍結。

名古屋城本丸御殿については公開討論会にかけ、参加した市民による多数決をとった結果、賛成多数であったことからなのか即座に整備再開。両関係者ともに内覧会に出席のようですが、あの騒ぎは一体全体何だったのでしょうか?つくづく政治とは何なのか、ひたすら考えさせられるひと時。。。

もとい… 目出度く完成した名古屋城本丸御殿ですが、実は殆ど使用することなく、のちに作られた二の丸御殿が生活の場だったようです。

名古屋城天守閣建造から遅れること3年後の1615年に、尾張藩初代藩主、徳川義直と妻・春姫の住まいとして建造。

しかしながら、5年後に完成した二の丸御殿に2人が引っ越したため、暫く空き家状態に。

その後は、将軍が訪れた時に使われる迎賓館のような扱いとなり、ほとんど使われずにいたのでした。

2013年玄関・表書院、2016年対面所等、そしてこのたび完成した2018年上洛殿等とこれまで10年の歳月をかけ3期にわけての公開、完成に。

「上洛殿」は、将軍が京都に向かう際、宿泊されるために建造したそうで、実際に宿泊されたのは、三代 徳川家光公・十四代 家茂公、そして明治天皇、昭和天皇のみとのことです。

豪華絢爛な造りやサウナ式のお風呂が見どころでしょうか。

せっかくなので、写真は控えめにして・・

みなさん、ぜひお出かけください!!